FC2ブログ

健康

健康

健康が一番大切である!

我々が楽しい充実した人生を過ごすためには
健康が一番大切だということは
誰もが理解しているし、重要なことだと考えている。

でも、その一番大切なもののために
「どのような努力をしていますか?」
と尋ねると
「別に何もしてないねぇ」
と答えが返ってくる。

もちろん努力している人もいるが
意外と病気を患ってから
何かを始める人が殆ど・・・。

以前、何故人は健康な時に
その健康を守るために
努力をしないのだろうと
考えたことがある

「病気になってから出す知恵先に出せ」と
いうような標語があるほどである


そして私なりに考えてみて
一つの結論をだした

それは努力の結果が見えにくいことに
つきるのではないか?

ということである。

例えば

適度な運動を毎日するとか、

ストレスを溜めずに生活をするとか、

よい睡眠をとるとか、

食(辛いもの甘いものを控える、有機に拘る)とか

数えれば、その数は枚挙にいとまがない。

しかし、残念なことに健康な身体を保つための頑張りには
努力の結果がみえずらい

「おぉ 大分、病気になりにくい身体になったなぁ」

このようなことが簡単に確認できれば、
どれだけ多くの人が健康な身体を保つための努力をする
ことだろうと考えてしまう。

癌で亡くなる人は三人に一人から
二人に一人なった。
4人家族なら2人が癌で亡くなる計算になる

「癌」とは山ほど美味しい品を食って、病気になる。と書く
正しく、現在環境が作りだす贅沢病が「癌」なのである。

このように考えると、あまり恵まれない環境に暮らし
粗食を楽しめるくらいのほうが
健康で長生きできるのかもしれない。


このようなことを書いている
私も最近メタポに悩まされている
胴回りが85センチを越え、88センチになった
体重もベスト体重を10キロ天城越えである。

健康のために2年前にタバコを止めたせいか
急にご飯が美味しくなり、食がすすみ
太り気味である。

食欲があるのを我慢することはつらい
いっその事、タバコを吸ったほうがよいのでは
などと馬鹿げたことを考えてしまう

本当にどうすることが健康にいいのやら・・・。


しかし今日の最後にこの言葉を肝に銘じよう

「健康がなければ、あなたの周りの価値あるものの
全てが色あせてしまう」

この説明は不要だろうが、
あなたのまわりにどれほど沢山の価値あるものがあろうとも
健康がなければ、それを享受することはできないということである。

健康を、こよなく愛する人は、このことを肝に銘じて
どうぞ、健康のために地道な努力をしてくださいな。
   合唱

テーマ : 美容と健康
ジャンル : 心と身体

「生活の柄」

生活の柄 ( 高田わたる)

 歩き疲れては 夜空と陸との隙間にもぐり込んで

草に埋もれては寝たのです ところかまわず寝たのです

歩き疲れては 草に埋もれて寝たのです

歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです

 近ごろは  眠れない   陸を敷いては眠れない

夜空の下では眠れな い 揺り起こされては眠れない

歩き疲れては 草に埋もれて寝たのです

歩き疲れ 寝たのですが 眠れな いのです


そんな僕の生活の柄が夏向きなのでしょうか

寝たかと思うと寝たかと思うと

またも冷気にからかわれて

秋は秋からは 浮浪者のままでは眠れない

秋は秋からは浮浪者のままでは眠れない

 歩き疲れては 夜空と陸との隙間にもぐり込んで

草に埋もれては寝たのです ところかまわず寝たのです

~~~~~~~~~~~~
枯れ葉舞う この時期になると
何故かこの歌を思い出し
ついギターを爪弾く

もう35年も前になる
私の青春、真っ只中、思い出、
てんこ盛りの歌である。

あの頃は「かに族」(背中にリックを背おい旅するもの)たるものが
一世代を風靡し、とくに夏がくると
日本国中、沖縄最南端からでも北海道に上ってくる

まるで生まれた川に戻り子孫を残す
サケの遡上の様子ににている

しかし、このような浮浪者の生活も
いつまでも続けて行くわけにもいかず
やがて自分との葛藤が始まる。

来年こそは
もうこのような生活を止めなければと
思いつつも
ついつい 「あぁ また今年もかと」
数年の浮浪生活を繰り返す。

このような生活に別れを告げて
普通の生活にもどろうとする
葛藤の歌

それが「生活の柄」である。

わたしも数年に渡り、このような浮浪の生活を経験し、
いろいろなものを見させて頂いた。

カッコ良く言えば「旅にでる」などと
綺麗な言葉を使うが
長期にわたるとお金も底をつき
浮浪のたびである。

歩き疲れては
「夜空と陸との隙間にもぐりこんで
草に埋もれては寝たのです。
寝たかと思うと寝たかと思うと
またも冷気にからかわれて
秋は秋からは 浮浪者のままでは眠れない
秋は秋からは浮浪者のままでは眠れない」

この場所で多くのことを学び
現在に生きている
今、このときも私の「生活の柄」である。

札幌大通り公園の噴水を
お風呂代わりに使っていたあの頃が
なんとも懐かしい

全ては「このままでは暮らせない」である。

テーマ : ブログ
ジャンル : ブログ

「心眼」

「心眼」

心に目があれば目では見えないことが
見えるという

心の目で見なさい 真実が見えるから・・。

「大切なことは目では見えない
 大切なことは心の目でみる」

このことばを友人の住職から聞された
目で見ることに人は惑わされることが多いい

例えば、男女の付き合いで見てみると
美男・美女、好みのタイプ。
またそうでないタイプだとかは
最初に出会った瞬間、ファースト・インスピレーションできまる

大体、このことが前提で、お付き合いが始める
しかし、「身体の容姿」=「心の容姿」ではない

ここで早とちりをして結婚などしようものなら
結末は見えて悲惨なことが多いい。

ご他聞にもれず、30%の仲間入りである
結末は「離婚」の2文字。

例え、離婚には至らなくても、その60%は
我慢の人生、妥協の人生である。

なんと理想のパートナーに恵まれ
幸せな生活を送っている人は
悲しいかな10%前後だという

それでは、この最初の出会いのときに
目で見ることが出来なければどのような事に
なるのだろう

人は、どのようにして人を判断するのだろう
私は時々このようなことを考えてしまうから
自分でも面白いと考えている。

ここで人間は「心眼」を使い
心の目で見ようとする。

声が綺麗だとか
やさしそうだとか
実際にやさしいとか
思いやりがある人だとか

このように、心の目で、人との付き合いを始めると
後々に後悔することも少なく
幸せになれるというのである。

現実問題、
実際には、なかなか難しいことであるが
このように人を見ることを知れば
本当に相手の価値をはかり知ることができる

そのことにより、相手とは本当の価値観で結ばれ
幸せになれる確率が高いというのである

最後にこのように言われた
「美人は3日で飽きるが
ブスは3日見れば味が出る」

ブスとは、その人の容姿の個性であり、その人を示す特徴である
本当のブスと言われる人は““心のブス”である。

あなたたが惑わされる「目で見る」は、直ぐに飽きがきて
決して、その人の本質を示すものではない

大切なことは「心眼」
こころの目で見ようとする姿勢が大切なのである

テーマ : 独り言
ジャンル : ブログ

「こころの種」

「こころの種」

人は皆、心に沢山の「種」をもっている。

人生とは
己の心の中に持っている「種」の存在に気付き、
その「種」を芽吹かせ、
大きく成長させることである。

一生の間に何かのキッカケで、
“ふと”その存在に気付き、表舞台に取り出され
芽吹き、大きく成長を遂げるものと、
一生まったく気付かれることなく
死に行く「種」とがある。

自分がどのような「種」をもっているのか、
日々、神経を集中させ、種探しをする人
何も考えずに、生まれつき導かれるように種を育む人
このような人は稀で、非常に恵まれた人と言えるだろう

種の発見は“ふとしたキッカケ”(もの・人との出会い)による気付きによることが多いい。
またそのような気付き、意識(求める心)を常に持つことが私は大変重要だと考えている。

必ず大きく成長する「種」を、
人は、それぞれに持ち合わせているものである。

何故ならば、我々はそれぞれに「神」が使命をもって「創造」したものであるからである。
あとは、あなたが自分に与えられた時間の中で発見できるかどうかである。

人生とは、己の中にどのような「種」が眠っているのか
 その種を見つけて眠りから覚めさせることが
人生を楽しむことであり、充実した人生を過ごす条件であろう。
まぁ 今日も、そのことを意識しながらガンバンベ!!

テーマ : 独り言
ジャンル : ブログ

出張地獄

出張地獄

少しブログをお休みしていた
それと言うのも、久しぶりの出張である。
家を離れ出掛けるときには、そのことに集中したい気持ちもある。
毎月、出かける出張も、田舎から都会にでると
その人の多さに酔ってしまう。

流石に朝夕の電車は苦痛の一言である。
あの電車のドアの閉まる瞬間は
田舎ものの 私としては「もう乗れませんよ」から
さらに3メートルは押し込まれる
正にこれが「すし詰め」というやつでしょうね

込み合っているときには人の足元は見えないが
私の足元には出張用のキャリーバッグがある。

バッグが行方不明にならないように
ただ力一杯に取手を握っているだけである
そうこうしていると、次の駅につく
ドアが開くと、これがまた悲惨だ
今度は後ろから一気に前に押し出される

小さいころ楽しんだ まるで「おしくらまんじゅ」遊びだ
「おしくらまんじゅ 押されて泣くな」
子供の頃の、この遊びは楽しかったが
この都会の朝夕の通勤ラッシュの時間だけは
楽しめるようなものではない

わたしは田舎育ちだから
このような環境や状況に身体が反応できないし
みんな、こんなところでよく生活できるものだと
感心するばかりである

都会で生活している人が
私の田舎にくると
こんなところで、よく生活できるものだと
わたしと同じ事を言うのだろう(笑)

そこで都会の人へ一言

みなさん
最近は田舎もなかなか快適ですよ
私の日記ブログにもありますように

デジタル社会の到来で
欲しいものは都会の人と同じように
直ぐに手に入るし
因みに「価格.COM」で買い物しても
一日待てば、無事商品も届きますしね

ただインターネットで美味しいスイーツが
頂けないのは悲しいですね
これが実現するとスイーツ業界は変わるね

誰か田舎に来て美味しい
無農薬のベジタブルスイーツとか
無農薬のフルーツスイーツの店、作ってくださいな
出来れば、大ヒットしますよ

まぁ果物や、野菜は、無農薬がてんこ盛りで
田舎暮らしも 捨てたのではありませんよ
そのうちみんな田舎に引っ込んだりしてね

最近、ベランダで無農薬野菜をつくる
キッドが販売されていて
それが馬鹿売れだとか+‘*>*?}}‘+
これもまたおもしろいね(笑)

今の世の中、本当に何がヒットするやらね
面白い 面白い!!


追伸
特に我が田舎で60歳になる“拘りおじさん”が作る
イチゴは世界一だと思いますよ

大きいものは握りこぶし程ありますからね
大きいのに味が繊細で甘い
このイチゴの美味しさは口では表現できないね

まぁ 日本全国津々浦々行きますが
いまだかって、このイチゴに勝てるイチゴとの出合いはないね

出張地獄がイチゴの話になったね
まぁ誰も見ていないからいいですがね

「歩」

「歩」
この読み方は「ふ」と読む
わたしは将棋の「歩」が好きだ
この歩を良く見ると 少ないという字と
止まるという字が一緒になって出来ている

一歩(いっぽ)は一つ出て 少しでて止まると書いてある
一歩、一歩確実にとか、堅実にとか、地に足つけてとかという
表現を我々は良く使う

将棋と言うゲームでは この歩という駒は
一つしか前に進めない駒である
いや、一つ前に進むことしか許されない駒なのだ

これがこの歩の生まれついた能力であり、
歩にできる唯一の仕事だ

この一歩しか前に進めない駒には素晴らしい格言がある
「歩の無い将棋は負け将棋」と言う格言である
この格言が歩にとって「俺がいなければ絶対に勝てないという」
唯一のプライドだ
このプライドが私は大好きだ!


ご存知の方も多いいと思うが
将棋というゲームはお互いに19枚の責め駒と王様が一つ
合計20枚の駒で、自陣の王様を守りながら
相手の王様を攻め落とせば勝ちと言うゲームである。
この戦いで、先頭に立ち敵陣に攻め込むのが盤上18個の駒、「歩」である。

自陣の王様を守りながら
自陣の責め駒をふるに活用して
一目散に王様の首を取りに行く

お互い色々な定石戦法を駆使し責めたてる。
守る、責める、守る、責める の攻防
あるときには責める 責める 責める
そして あるときには 守る 守る 守る 守る
しかし 何処かで このバランスがこわれる
これが将棋の面白いところだ

このように
将棋の戦い手には「受け手」と「攻め手」がある
しかし、勝負の勝ち負けは
大局観=バランスであると
七冠を達成した羽生名人は言う
(これはオリンピック例えると
同じ競技で種目別に7個の金メダルをとったことに
匹敵する)

かの大山名人が大名人であった所以は 優れた大局観にあったと
羽生名人は言う。

私は、この大局観とは じぶんの立っている位置が
今、どの位置にいるのか?
これを正確にナビできることだと考えている。

そして このようなことも言う
将棋に勝つために必要なことは
人間窮地に陥ってくると その人が
過去に培った発想、考え方がでる。

その一手は「運」が大きく左右する
過去の経験が生み出す「運」である

これこそが正に潜在意識が生み出す
考えずに、手が動く
そして無意識に指が駒を離す
この離された位置を
羽生名人は「運」という

ということは『運』とは
過去に培った発想、考え方ということになる
これは七冠達成の 羽生名人が言うのだから
信じてもよかろう。

そしてもう一つ
決して勝負は思っている通り、考えている通りに
いくものではない。
それが現実というものだ

予想外のことが起こった時に、いかに適用していくか
これが勝負に勝つ秘訣という

人生はよく将棋に例えられるが
人が生きることは勝負である。

最近、自殺者が多発し、その数は
年間3万人を超える
このようなことが 数年続いている現状がある。

豊かな人生を手にするために
この話からは学ぶことは多い
将棋には いろいろな秘密が隠されている
まさに将棋は 人生である

私の“ハマリ”革

“はまり”革

ここ20年ほど前から
はまりに、はまっている革がある

革の名は「ミネルヴァ・ボックス」いう
イタリア・トスカーナー地方で育った
子牛の皮を独特のバケッタ製法で鞣す。
普通はヌメ革と呼ばれるが
ヌメ革に属するなかでも
革の風合いも
エイジングも
他の比ではない。
最高級の革である
私はこの「ミネルヴァ・ボックス」で制作した
・ キーホルダー
・ 名刺入れ
・ 折り財布
・ 長財布(大・小)二つ
・ メッセンジャーバッグ
・ ショルダーバッグ
等など、毎日本当にお世話になっている。
本当に素晴らしい革である

私が何故素晴らしいと判断できるのか?

私はバッグの収集が趣味で
25歳頃からかれこれ40年に渡り、バッグを収集している

古いものは100年以上前のものまで
その数は膨大なもので、400点以上に達するだろう

もうどのようなバッグが
押入れにあるのか正確には記憶に無い。
時々出してみるが
「オオーこんなのがあったのか」
と一人で驚き、喜んでいる

特に、古いバッグは綺麗に使われていれば
そのデザイン、縫製、制作の仕方は
現在の、その辺に転がっているバッグの比ではない

いろいろな革をみていると
なぜか、落ち着いてくる
わたしの前世は
素晴らしい革を着込んだ動物だったのかもしれない(笑)
そのようなことは無きにしても
なにか革に関わっていたに違いない

このように沢山の革に出逢い
愛してきた

どの革が一番ですか?と問われれば
人それぞれに、好き嫌いはあるだろうが
やはり、全てにおいてバランスの良い
「ミネルヴァ・ボックス」が一押しである。

「ミネルヴァ・ボックス」は、職人の手により、ゆっくりと時間を掛け鞣される
植物タンニンで鞣される製法は、「手間」と「非常に長い時間」を要すると聞く
「皮」から「革」にになる過程の手間が全然違うのである

この革は、やはり使ってみなければ分からないだろう
「ミネルヴァ・ボックス」はよく「琥珀」に例えられるが
それは使い始めてから
持つ人の生活を刻むエイジングの素晴らしさが
「琥珀』の色に例えられるからだという

私も使っていて、まさにそのように感じる。
世界遺産の80%はイタリアにあるというが
イタリアの革職人が
「ミネルヴァ・ボックス」こそが、イタリアの革の世界遺産である
というこの言葉もうなずける。

なんにでも一流はある
人間もしかりである。
いろいろな素晴らしさをバランスよく備えもち、
このように愛される
革にわたしもなりたいものだ。

革は、どのように作られるかで
   どのように使われるかが、決まっているのである

 

テーマ : おすすめ商品
ジャンル : ファッション・ブランド

里山の宝

里山の宝

「里山の宝」はどうなるのだろう
先日、久しぶりに田舎に里帰りをした。

どこを見ても懐かしい風景だ
幼い頃、近所の“悪がき”たちと
(もちろんわたしも含めて・・・)
野山を駆け回り、遊んだ頃の風景が
鮮明に目の前に浮かんでくる。

キツネも、狸も、鹿も、イノシシも
キジもハトもみんな友達だった。

夕暮れ時にはカラスが鳴き、
日が暮れるとフクロウが歌い
フクロウの鳴き声を真似をして
犬が歌う

里山は素晴らしい
(もちろん私の価値観である・・ga 。)


あの頃と比べると
全てのものが随分、小さく見える
道も狭く、細く見えて、遠くにあった景色は直ぐそこにある
川幅は狭く、深く感じていた水深は
浅く、底が見えている。

現在は、40戸程あった集落の
3割が居なくなり
我々と同じ年代の子供達は
皆、都会に出て
里山で暮らすような
子供は少ない

当然のごとく
急速な勢いで過疎が進み
やたらと空き家が目立つようになった。

そのひとつ、ひとつに
あたたかな昔の想いがめぐる。

私がこの世にお別れを言う頃には
このような里山はどうなっていくのだろう・・・?

懐かしい風景に誘われて、ぷらぷら歩いていると
 すずなりに「柿」がなっている。
 季節柄、「銀杏の実」が降り積もるように
道にころがっている

管理されずに、背丈ほど伸びた草のなかに
「かぼす」や「酢だち」の実が沢山なっている
「イチジク」も「シイタケ」も
なんでもござれである。

都会で買うと
いかほどの値段がするのか?
「あぁ もったいない もったいない」である

しかし 悲しいかな もう この里山に管理者はいない。

ここ数年で、この里山を
引き継いでこられた二代目、三代目の
方々が急速に旅立っている。

そこには里山の風景があるのか?
あの世から、この里山を眺めて
さど悲しい想いでいることだろう

もうこの里山に跡継ぎはいないのである
皆、都会暮らしである。

兄がポツンと言った

 「20年後には、この里山には
    一人の人も、いなくなることだろう」

悲しいかな
“里山の宝”は全て消えるのである。

このようなことを書いている
私も里山には帰れない・・・。
もちろん都会暮らしである

これが人生の辛いところだ!

そして、このような現象も
我々を取り巻く「時代環境なのである」

しかし、私は時々ふと 考えることがある
日本全国、その土地、土地の風土が育てた
素晴らしい一品はある。

この里山が育てた“至極の宝”が
再び、陽の目を見ることが必ずある

この気付きこそが「善の循環」
「故きを温ね新しきを知る(温故知新)」
ことと信じている

川の流れのように

   川の流れのように

ある方の極,最近のブログに
『全力で走る者に
不安は追いつけない』と言う言葉1が
書かれてあった

この言葉、一見みると
確かに
「 あぁ そうか  素晴らしい言葉だなぁ」 
と感じる

しかし、
反論する気はないが、
 間違った選択に 
いくら全力で走っても
直ぐに不安から追いつかれてしまう。

時流の読みは
「水面の枯れ葉が川底に沈み
  川底の小石が水面に浮かぶ」時代である]

今までの常識では計り知れない
 想像も、し得ないことが目の前に起きてくるということだろう
 特に我々凡人にはなおさらの事である。

我々はいまこそ
情報を敏感にキャッチ、分析し、
選択を間違えずに対応し
全力で走り続けなければならない。

過去に纏った常識という鎧を今すぐ
脱ぎ捨てなければ生きて行けない時代なのである。

しかしこのことを理解していれば
これも時代の楽しみ方ともいえる。

ゲームの最終的な答えが“満足のいく人生なら”
とにかく目の前の敵は「時流への対応」なのである。

次の一手は
「将棋」や「囲碁」だけではない

今こそ、自分の人生をアートする
「次の一手」を打つことが必要なのである

テーマ : つぶやき
ジャンル : ブログ

『夢』



今回の
お題目を、なぜ「夢」にしたのか?
それは常に、私の中に「夢」に対しての
深い想いがあるからである。

「近きにあるもの 夢
果てしなき遠くにあるもの それもまた夢」

これは私の夢に対する想いである。

「夢を達成する方法は
諦めないことだという。

あきらめずに常に積極的に
夢に向って挑戦し続ければ
いつも夢はあなたのそばにいて
あなたを支えてくれる」

これは「脊椎」のようなものと
わたしは考えている。

夢については書く人は沢山いる
それぞれに賛否両論。

人生に
生きがいを持たずに生活している人々に
“やる気や生きがい”を持たせ
奮起させる。

そして、
なんとかそのような人の
人生に希望が見え、楽しい方向に向えば
これで善しである。

しかし、
わたしには
夢に対してのこだわりがある。

それは自分にフィットする
仕事(天性)の中で夢への達成感を
味わいたいということである。

しかし、神様は
そのような、我がままを聞いてくれようとはしない
そんな贅沢にはそうそう付き合ってくれそうもない

もの心がつき、このようなことを
真剣に考え始めて
30年も40年も過ぎようとしている。

まだ、まだ挑戦を続け
必ず、この世でいただける時間の中で
一つの「夢」への達成感を
得られればいいのだが・・・。

そのために
これからも、あらゆる努力をしようと
ほぼ、毎日自分に言い聞かせている。

生憎、大変恵まれたことに
周りには素晴らしい友人がいてくれることが
幸せである。

今回の最後に
決してネガティブな気分で書く気はないが

人偏に夢と書き
「儚い」(はかない)と読む
人が夢をもったときに
夢はすでに儚くも
消えてゆくことを覚悟しなければ
ならないのかもしれない。

しかし
それを、決っして儚いものに
しないことが 
人生であり、生き様である。

そして、最後に目的を達成された人が
「我が人生にくいなし」
といって人生の
幕を引く人なのだろう

わたしもそうあるために
今日の一歩を頑張る

「融合」


わたし達の住む社会環境は
アナログ社会から
完全にデジタル社会へと移行を
遂げようとしている。

何を今更の感があるが
小さな小店主の私にとって
全てがインターネット(パソコン・携帯)に
飲み込まれ、
その規模は80数兆円に達すると予測されている


つい数年まえに、あちら、こちらの
学者さんが「中抜が始まるよ」と
唱え始め、
まだ、どれ程の時間も経過いていないように
思うが

このことが、
このような早さで
身にしみて、切実に感じさせられる日々が
やって来ようとは

ものの流通が変わる
即ち、お客様の買い方が変わり
売り手側も売り方を変えなければ
この変化についていけない

店頭での
お客様の来店数が激減し
その結果、そのことに比例して
売り上げも激減する

「今日も悪い、明日がみえない」

このような言葉を毎日、毎日
機関銃のように繰り返し
お経の、ように読み
インコのように鳴く

結局のところ、
変化について、舵取りの出来ない
ところは店をたたむしか手段がない

いち早く、時代の流れを読み
ネット販売を旨く活用された方々は
徐々にではあるが、
成果を上げている話も耳にする。

これからの物売りはどのように
変わっていくのだろうか!?
いま、経営者は
真の意味での舵取りに迫られている

そして
いまこそ再確認すべきことは

「風の方向が変われば
帆の向きも変えなければ
目的地にはつけない」

ということである


そこで今日、偶然出合った
この言葉を書きます

発送の
転換を
必要とする
新世紀の幕が
あがりました。

「融合」

つまり
溶けてひとつになる
また新しい自分が見える

さあ
囲いをはずしましょうか。

如何ですかな!?

しかし、ネットに切り替えれば
簡単に結果が出るほどあまい物ではない
ということを心得るべし  です。

「ジョンQ」に学ぶ


ジョンQについては
改めてここで書く必要もあるまいが

心臓病に悩む我が子に
主人公ジョンQが自分の心臓を提供し
どのことをしても助けようと
我が命を顧みずに
孤軍奮闘する映画である

もちろん子供の心臓と自分の心臓を
入れ替えないと助からないという
話だから
その前には当然
自分が命を絶たなければいけない
覚悟を決めたその直後に

父は子供に遺言として
親としてどのような
子供に成長して
欲しいかを切実に語る

このシーンがなんとも
涙を誘うわけである

・ ママの言うことを聞きなさい
・ 人との約束は絶対に守りなさい
・ 感謝をしなさい
・ タバコ吸わないように
・ 悪い仲間とつきあわないように

このことを子供に約束させ
ジョンQは命を絶とうとする

親が、もし自分の命が絶たれようと
するときに
どの親もみな、
このようなことを
子供に願うのだろうが

はたして
正面から
このようなことを一つずつ
子供に諭せる
親がどれほどいるだろうか?

このような時代の中で
親が子供にこのようなことを
素直に諭せない

このようなことが
もろもろの問題を引き起こす
要因になっているのかもしれない

もちろん私がそのような
親であるかどうかは
判断できないが
そのような親で
ありたいことは
事実である。

テーマ : 伝えたいこと
ジャンル : ブログ

プロフィール

AGO だんな

Author:AGO だんな
福岡にある革専門店「Leather & Silver AGO」のだんなです。

【自己紹介】
*名前 :AGOの 旦那
      (あごの だんな)
*性別 :男性
*誕生日:19●●年5月
*血液型:AB型
*出身地:大分県
*趣味 :カメラ・将棋
     革もの収集・旅
*座右の銘 :
 雪、霜に耐えて梅花薫る
 (高校の部活の監督からの色紙)

*大切にしている考え:
 ①全ての結論は調査の前に
あるのではなく
   全ての結論は調査の後に
ある。(毛沢東毛語録より)

 ②健康が全てである。
   健康がなければ、あなたの
価値あるものの全ては
   色あせてしまう
   (人生の師より)

*会社 :1988年設立 
  有)BITMAP International

カレンダー
10 | 2008/11 | 12
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
時計
アクセスカウンター